医師の相続税対策と事業承継｜クリニック・医療法人の円滑な承継方法
目次
「自分が築いた診療所を、できるだけ負担なく次世代に引き継ぎたい」－これは多くの開業医に共通する願いです。しかし、医師の相続税は平均1億円を超えることも珍しくなく、準備不足により診療所の存続が危ぶまれるケースも少なくありません。
本記事では、医師特有の相続税問題と、診療所・医療法人の円滑な事業承継を実現するための具体的な対策を、20年以上にわたり100件以上の医業承継をサポートしてきた経験から詳しく解説します。早期の準備により、相続税を大幅に削減しながら、地域医療を守ることが可能です。
1. 医師の相続税が高額になる理由
医師の相続税が他の職業と比較して高額になるのには、明確な理由があります。これらを理解することが、効果的な対策の第一歩となります。
医師特有の資産構成
1. 個人資産
- 不動産：自宅、診療所建物・土地（平均評価額：1億円〜3億円）
- 金融資産：預貯金、有価証券（平均：5,000万円〜2億円）
- 生命保険：死亡保険金（平均：5,000万円〜1億円）
2. 事業用資産
- 医療機器：高額機器の簿価（数千万円〜数億円）
- 診療報酬債権：2〜3ヶ月分（1,000万円〜5,000万円）
- 医薬品在庫：（数百万円）
3. 医療法人関連
- 出資持分：旧医療法人の場合（評価額：数億円になることも）
- 貸付金：法人への貸付残高
- 退職金請求権：未支給の役員退職金
医師の相続財産の実態
| 項目 | 一般的な会社員 | 開業医（個人） | 開業医（医療法人） |
|---|---|---|---|
| 平均相続財産額 | 約5,000万円 | 約3億円 | 約5億円 |
| 相続税額（配偶者+子2人） | 0円 | 約7,000万円 | 約1.5億円 |
| 実効税率 | 0% | 約23% | 約30% |
相続税が問題となる具体的なケース
納税資金不足
資産の大部分が不動産や医療機器で、現金が少ない場合、相続税の納付が困難に
診療所の存続危機
相続税支払いのため診療所の売却を余儀なくされ、地域医療に影響
相続人間の争い
後継者と非後継者間で、診療所資産の分割を巡る争いが発生
2. 相続税の計算方法と税率
相続税対策を立てる前に、まず相続税がどのように計算されるかを理解することが重要です。
相続税計算の流れ
相続財産の評価
すべての財産を時価で評価
債務・葬式費用の控除
借入金や未払金を差し引く
基礎控除の適用
3,000万円＋600万円×法定相続人数
相続税の総額計算
法定相続分で按分し税率適用
各人の納付税額
実際の取得割合で配分
相続税の税率表（2024年現在）
| 法定相続分に応ずる取得金額 | 税率 | 控除額 |
|---|---|---|
| 1,000万円以下 | 10% | - |
| 3,000万円以下 | 15% | 50万円 |
| 5,000万円以下 | 20% | 200万円 |
| 1億円以下 | 30% | 700万円 |
| 2億円以下 | 40% | 1,700万円 |
| 3億円以下 | 45% | 2,700万円 |
| 6億円以下 | 50% | 4,200万円 |
| 6億円超 | 55% | 7,200万円 |
具体的な計算例
ケース：相続財産5億円、相続人は配偶者と子2人
- 課税遺産総額：5億円 - 4,200万円（基礎控除）= 4億5,800万円
- 法定相続分：配偶者1/2、子各1/4
- 相続税の総額：
- 配偶者：2億2,900万円 × 40% - 1,700万円 = 7,460万円
- 子A：1億1,450万円 × 40% - 1,700万円 = 2,880万円
- 子B：1億1,450万円 × 40% - 1,700万円 = 2,880万円
- 合計：1億3,220万円
- 配偶者の税額軽減：配偶者は1億6,000万円まで非課税
- 実際の納税額：子2人で約6,610万円
3. 事業承継の3つのパターン
医院の事業承継には大きく3つのパターンがあり、それぞれにメリット・デメリットがあります。
1. 親族承継
概要
子供や配偶者など、親族に診療所を引き継ぐ最も一般的なパターン
メリット
- 患者・スタッフの安心感
- 診療理念の継承が容易
- 相続税対策が立てやすい
- 承継時期を柔軟に設定可能
デメリット
- 後継者の医師免許取得が前提
- 経営能力の不足リスク
- 他の相続人との調整必要
- 親子間の意見対立
成功のポイント
- 早期からの後継者教育（10年計画）
- 段階的な権限委譲
- 他の相続人への配慮（金銭での調整）
2. 第三者承継（M&A）
概要
親族以外の医師や医療法人に診療所を譲渡する方法
メリット
- 後継者不在でも承継可能
- 売却益を得られる
- 承継時期が明確
- 経営能力のある医師を選定可能
デメリット
- 診療理念の変更リスク
- スタッフの雇用不安
- 患者の流出可能性
- 譲渡所得税の負担
成功のポイント
- 適切な譲渡価格の設定
- 引継ぎ期間の確保（6ヶ月〜1年）
- スタッフ・患者への丁寧な説明
3. 廃業
概要
診療所を閉院し、資産を清算する選択
選択理由
- 承継者が見つからない
- 経営状況の悪化
- 建物の老朽化
- 体力的限界
課題
- 患者の引受先確保
- スタッフの再就職支援
- 医療機器の処分費用
- 地域医療への影響
廃業時の注意点
- カルテの保管義務（5年間）
- 行政への届出手続き
- リース契約の処理
- 税務上の処理（みなし譲渡）
4. 効果的な相続税対策7選
相続税を大幅に削減するための具体的な対策を、効果の高い順にご紹介します。
対策1：医療法人の設立・活用
個人資産と事業資産を分離し、相続財産を圧縮する最も効果的な方法
- 出資持分なし医療法人：相続税の対象外に
- 役員退職金：死亡退職金として相続人に支給（非課税枠あり）
- 生命保険の活用：法人契約により退職金原資を準備
節税効果：相続財産を50%以上削減可能
対策2：生前贈与の計画的実施
暦年贈与や相続時精算課税制度を活用した資産移転
- 暦年贈与：年110万円の基礎控除を活用
- 相続時精算課税：2,500万円まで贈与税非課税
- 教育資金贈与：1,500万円まで非課税
- 結婚・子育て資金贈与：1,000万円まで非課税
例：20年間で子3人に年330万円ずつ贈与 → 1億9,800万円を無税で移転
対策3：不動産の評価減対策
診療所建物・土地の相続税評価額を合法的に引き下げる
- 小規模宅地等の特例：事業用400㎡まで80%減額
- 賃貸併用：貸付事業用宅地として50%減額
- 共有持分化：評価額の低減効果
例：評価額2億円の診療所用地 → 特例適用で4,000万円に
対策4：生命保険の戦略的活用
相続税の納税資金確保と非課税枠の活用
- 死亡保険金の非課税枠：500万円×法定相続人数
- 終身保険：確実な納税資金の準備
- 連生保険：二次相続対策
推奨：相続税額と同額の生命保険に加入
対策5：養子縁組による基礎控除拡大
法定相続人を増やすことで基礎控除額を増額
- 基礎控除の増加：養子1人につき600万円増
- 生命保険非課税枠の拡大：500万円増
- 実子がいる場合：1人まで算入可能
注意：相続税対策のみを目的とした養子縁組は否認リスクあり
対策6：債務の計画的活用
相続財産から控除できる債務を戦略的に活用
- 診療所建替え：借入金は相続財産から控除
- 医療機器の更新：リースより借入購入が有利な場合も
- 役員借入金：医療法人への貸付金と相殺
対策7：遺言書の作成と遺留分対策
相続争いを防ぎ、事業承継を円滑に進めるための準備
- 公正証書遺言：確実な執行が可能
- 遺留分の事前放棄：家庭裁判所の許可により可能
- 経営承継円滑化法の活用：遺留分の特例
5. 医療法人を活用した承継戦略
医療法人は事業承継において極めて有効なツールです。法人化のタイミングと活用方法が成功の鍵となります。
持分なし医療法人への移行
最大のメリット：相続税の対象外
2007年以降設立の医療法人は「持分なし」が原則。相続財産に含まれないため、相続税がかかりません。
| 項目 | 持分あり医療法人 | 持分なし医療法人 |
|---|---|---|
| 相続税 | 出資持分に課税 | 非課税 |
| 払戻請求権 | あり | なし |
| 残余財産分配 | 出資者へ | 国等へ帰属 |
| 事業承継 | 複雑 | 理事長交代のみ |
認定医療法人制度の活用
持分あり医療法人から持分なし医療法人への移行を支援する制度（2023年9月まで延長）
- みなし贈与税の非課税：移行時の税負担なし
- 要件：3年間の移行計画を策定・実行
- 手続き：厚生労働大臣の認定が必要
医療法人での節税スキーム
1. 役員退職金の活用
理事長の死亡退職金として支給
- 功績倍率法により適正額を算定
- 相続人の非課税枠：500万円×法定相続人数
- 法人の損金算入により法人税も軽減
例：最終報酬月額200万円×勤続30年×功績倍率3.0 = 1億8,000万円
2. MS法人の活用
メディカルサービス法人を設立し、所得を分散
- 不動産管理会社：診療所建物の賃貸
- 医療関連サービス：検査業務の受託
- 後継者への株式贈与で承継準備
6. 生前贈与の活用方法
計画的な生前贈与は、相続税対策の基本中の基本です。税制改正の動向を踏まえた最新の活用方法を解説します。
暦年贈与の効果的な活用
基本戦略
- 年間110万円の基礎控除を最大限活用
- 複数の相続人に長期間にわたり贈与
- 相続開始前3年間の贈与は相続財産に加算（改正により7年に延長予定）
シミュレーション
| 贈与期間 | 受贈者数 | 年間贈与額 | 総贈与額 | 節税効果（税率40%） |
|---|---|---|---|---|
| 10年 | 3人 | 330万円 | 3,300万円 | 1,320万円 |
| 15年 | 3人 | 330万円 | 4,950万円 | 1,980万円 |
| 20年 | 3人 | 330万円 | 6,600万円 | 2,640万円 |
実務上の注意点
- 贈与契約書の作成：毎年作成し、双方が署名押印
- 振込による証拠：現金手渡しは避ける
- 受贈者の管理：通帳・印鑑は受贈者が管理
- 定期贈与認定の回避：金額・時期を変動させる
相続時精算課税制度の活用場面
制度の概要
- 2,500万円まで贈与税非課税
- 超過分は一律20%の贈与税
- 相続時に贈与財産を相続財産に加算
- 2024年改正で年110万円の基礎控除創設
医師の活用例
診療所不動産の贈与
将来値上がりが見込まれる土地を早期に移転
医療法人出資持分の贈与
持分あり法人の出資を後継者へ
金融資産の贈与
運用益は受贈者に帰属
特例贈与制度の活用
教育資金一括贈与
- 孫等へ1,500万円まで非課税
- 医学部の学費に活用可能
- 30歳到達時の残額は課税対象
結婚・子育て資金一括贈与
- 子・孫へ1,000万円まで非課税
- 不妊治療費にも使用可能
- 50歳到達時の残額は課税対象
7. 事業承継税制の特例活用
医療法人の出資持分も、一定の要件を満たせば事業承継税制の対象となります。大幅な納税猶予が可能です。
医療法人の事業承継税制
制度の概要
- 対象：持分あり医療法人の出資持分
- 効果：相続税・贈与税の100%納税猶予
- 期限：2024年3月までに特例承継計画を提出
適用要件
医療法人の要件
- 持分あり医療法人であること
- 中小企業者に該当（従業員300人以下等）
- 上場会社等が支配していない
後継者の要件
- 理事長に就任
- 出資持分の過半数を保有
- 医師・歯科医師であること
事業継続要件
- 5年間の事業継続
- 雇用の8割維持（実質撤廃）
- 出資持分の継続保有
申請手続きの流れ
1. 特例承継計画の策定
認定経営革新等支援機関の指導を受けて作成
2. 都道府県知事への提出
2024年3月31日までに提出必須
3. 贈与・相続の実行
2027年12月31日までに実施
4. 認定申請
贈与・相続から8ヶ月以内
5. 納税猶予申請
税務署への申告と同時
適用効果のシミュレーション
ケース：出資持分評価額3億円の医療法人
| 項目 | 通常の相続 | 事業承継税制適用 |
|---|---|---|
| 相続税額 | 約1億2,000万円 | 0円（納税猶予） |
| 納税資金 | 必要 | 不要 |
| 事業継続 | 資金難リスク | 安定継続可能 |
8. 後継者育成のポイント
円滑な事業承継には、後継者の計画的な育成が不可欠です。医療技術だけでなく、経営能力の習得も重要です。
後継者育成の10年計画
Phase 1：基礎形成期（1〜3年目）
- 他院での臨床研修
- 専門医資格の取得
- 経営の基礎知識習得
Phase 2：実践習得期（4〜6年目）
- 自院での診療開始
- 経営会議への参加
- スタッフマネジメント経験
Phase 3：権限委譲期（7〜9年目）
- 副院長就任
- 経営判断への参画
- 対外的な代表業務
Phase 4：承継準備期（10年目）
- 院長代行の経験
- 完全な権限移譲準備
- 承継手続きの実施
後継者に必要な能力
医療技術
- 診療科の専門性
- 最新医療への対応
- 患者とのコミュニケーション
経営能力
- 財務諸表の理解
- マーケティング
- 投資判断
リーダーシップ
- スタッフマネジメント
- ビジョン策定
- 問題解決能力
対外関係
- 医師会活動
- 地域連携
- 行政対応
効果的な指導方法
段階的な権限委譲
- 観察期：院長の仕事を観察・学習
- 補助期：院長の補佐として業務経験
- 分担期：一部業務の責任者として独立
- 代行期：院長不在時の全権代行
- 移行期：実質的な経営権の移譲
外部研修の活用
- 医業経営コンサルタント協会の研修
- 医師会の経営セミナー
- MBA取得支援
- 他院見学・交流
9. 成功事例と失敗事例から学ぶ
実際の事業承継事例から、成功のポイントと避けるべき失敗を学びましょう。
成功事例1：計画的な親族承継
背景
- 内科クリニック（年商2億円）
- 院長65歳、長男35歳（勤務医）
- 相続財産予想額：5億円
実施した対策
- 10年前：医療法人化（持分なし）
- 8年前：長男が専門医取得後、自院勤務開始
- 5年前：暦年贈与開始（年330万円×家族3名）
- 3年前：長男を副院長に、段階的に権限委譲
- 1年前：小規模宅地特例の要件確認
- 承継時：理事長交代、退職金2億円支給
結果
- 相続税：5,000万円 → 800万円（84%削減）
- スムーズな診療体制移行
- スタッフの定着率100%
- 患者数は承継後も増加
成功事例2：M&Aによる第三者承継
背景
- 整形外科クリニック（年商3億円）
- 院長70歳、後継者不在
- 職員25名の雇用維持が条件
M&Aプロセス
- 2年前：M&A仲介会社と契約
- 1年半前：譲渡価格査定（2.5億円）
- 1年前：買手候補との交渉開始
- 6ヶ月前：基本合意書締結
- 3ヶ月前：デューデリジェンス実施
- 承継時：最終契約・引継ぎ
成功のポイント
- 早期からの準備で良い買手を選定
- 従業員の雇用条件を契約書に明記
- 1年間の顧問契約で円滑な引継ぎ
- 地域医療の継続性を重視した交渉
失敗事例：準備不足による混乱
問題点
- 突然の院長急逝で準備なし
- 個人名義の不動産・機器が多数
- 遺言書なし、相続人間で対立
発生した問題
- 相続税1.5億円の納税資金不足
- 診療所建物の売却を余儀なくされる
- スタッフの大量離職
- 地域の患者への影響大
教訓
- 健康なうちに承継準備を開始
- 遺言書は必須
- 緊急時の事業継続計画を策定
- 生命保険での納税資金準備
10. 承継準備のタイムライン
事業承継は10年スパンで計画することが理想的です。年齢別の準備事項をご紹介します。
院長の年齢別 承継準備チェックリスト
50代：基礎固め期
60代前半：実行準備期
60代後半：実行期
70代：完了期
緊急時対応計画
万が一に備えた準備も重要です
必須準備事項
- 遺言書：公正証書で作成
- 緊急連絡先リスト：顧問税理士、弁護士、後継候補者
- 重要書類の保管場所：相続人に周知
- 暫定経営者の指名：緊急時の診療体制維持
- パスワード管理：デジタル資産へのアクセス
11. まとめ：早期準備が成功の鍵
医師の相続税対策と事業承継は、早期の準備開始が成功の最大の鍵です。理想は10年前から、最低でも5年前からの準備が必要です。
成功する事業承継の5つの要素
-
早期の準備開始
50代から承継を意識し、計画的に準備を進める
-
専門家チームの構築
税理士、弁護士、医業コンサルタントとの連携
-
後継者の計画的育成
医療技術と経営能力の両面から育成
-
財産対策の実行
医療法人化、生前贈与、生命保険の活用
-
関係者との調整
家族、スタッフ、患者への配慮と説明
今すぐ始めるべき3つのアクション
現状把握
- 財産の棚卸しと評価
- 相続税の試算
- 後継者候補の確認
計画策定
- 10年スパンの承継計画
- 必要な対策の優先順位付け
- 実行スケジュール作成
対策実行
- 医療法人化の検討
- 生前贈与の開始
- 遺言書の作成
相続・事業承継対策は「転ばぬ先の杖」です。健康で判断力がある今こそ、大切な診療所と家族の将来を守るための準備を始めましょう。
当社では、医業特化の税理士として、相続税試算から事業承継計画の策定、実行支援まで、ワンストップでサポートしています。まずは現状分析から始めてみませんか。
相続・事業承継 無料診断実施中
あなたの診療所の相続税はいくら？最適な承継方法は？
- 相続税シミュレーション（簡易版）
- 事業承継の選択肢提示
- 今すぐできる対策のアドバイス
- 10年承継計画の概要作成