目次

  1. クリニック特有の人事労務課題
  2. 労働基準法の基礎知識
  3. 就業規則作成の重要ポイント
  4. 効果的な給与体系の設計
  5. 社会保険・労働保険の適切な運用
  6. 優秀なスタッフの採用戦略
  7. スタッフ定着率向上の具体策
  8. 労務トラブルの予防と対処法
  9. 働き方改革への対応
  10. 成功事例から学ぶ人事管理
  11. まとめ:働きやすい職場づくり

「良いスタッフが集まらない」「せっかく育てたスタッフがすぐに辞めてしまう」-これは多くのクリニック経営者に共通する悩みです。医療の質は、医師の技術だけでなく、看護師や医療事務スタッフとのチームワークによって決まります。

本記事では、クリニックにおける人事労務管理の基本から、スタッフの採用・定着率向上の具体的な方法まで、15年以上にわたり200以上の医療機関をサポートしてきた経験から、実践的なノウハウをお伝えします。適切な労務管理は、スタッフのモチベーション向上と医療の質の向上に直結します。

1. クリニック特有の人事労務課題

医療機関の人事労務管理には、一般企業とは異なる特有の課題があります。これらを理解することが、効果的な対策の第一歩です。

クリニックが直面する5大労務課題

1. 慢性的な人材不足

  • 看護師の有効求人倍率:2.5倍以上
  • 医療事務経験者の不足
  • 地域による人材偏在

2. 女性中心の職場環境

  • 産休・育休への対応
  • 短時間勤務の要望
  • 人間関係の複雑化

3. 変則的な勤務体系

  • 午前・午後の分割診療
  • 土曜診療の対応
  • 当直・オンコール体制

4. 専門職の混在

  • 資格による業務範囲の違い
  • 給与格差への不満
  • キャリアパスの違い

5. 院長の労務知識不足

  • 医学教育での労務教育なし
  • 法改正への対応遅れ
  • 問題の先送り傾向

クリニックの労務実態データ

項目 全産業平均 医療機関 クリニック
離職率 11.1% 10.6% 15.2%
平均勤続年数 11.9年 8.8年 5.3年
有給取得率 58.3% 52.7% 43.1%
残業時間(月) 14.5時間 18.2時間 22.6時間

2. 労働基準法の基礎知識

医療機関も労働基準法の適用を受けます。基本的なルールを理解し、コンプライアンスを守ることが重要です。

押さえるべき労働基準法の要点

労働時間の原則

  • 法定労働時間:1日8時間、週40時間
  • 休憩時間:6時間超で45分以上、8時間超で1時間以上
  • 休日:週1日以上または4週4日以上
クリニック特有の注意点

午前診療と午後診療の間の休憩時間は、完全に労働から解放されていない場合、休憩時間とみなされない可能性があります。

時間外労働と割増賃金

労働の種類 割増率 備考
時間外労働 25%以上 月60時間超は50%以上
休日労働 35%以上 法定休日の労働
深夜労働 25%以上 22時〜5時

36協定の締結

時間外労働・休日労働を行わせる場合は、36協定の締結・届出が必須です。

  • 上限規制:月45時間、年360時間
  • 特別条項:年720時間まで(月100時間未満)
  • 医師の特例:2024年4月から上限規制適用

年次有給休暇

3. 就業規則作成の重要ポイント

就業規則は職場のルールブックです。10人以上の事業場では作成・届出が義務ですが、10人未満でも作成することを強く推奨します。

クリニック向け就業規則の必須項目

絶対的必要記載事項

  • 労働時間・休憩・休日
  • 賃金の決定・計算・支払方法
  • 退職に関する事項

相対的必要記載事項

  • 退職金制度
  • 賞与
  • 安全衛生
  • 職業訓練
  • 災害補償
  • 表彰・制裁

クリニック特有の規定例

1. 勤務時間・シフト制

条文例:

「診療時間に応じて、以下のシフト勤務とする。
A勤務:8:30〜12:30、14:00〜18:00
B勤務:8:30〜13:00
C勤務:14:00〜18:00」

2. 守秘義務

条文例:

「職員は、業務上知り得た患者の個人情報及び医療情報を、在職中はもとより退職後においても、第三者に漏洩してはならない。」

3. 服装・身だしなみ

条文例:

「職員は、清潔な白衣または指定のユニフォームを着用し、患者に不快感を与えない身だしなみを心がけなければならない。」

4. 院内研修

条文例:

「医院が指定する研修・勉強会には、業務として参加するものとし、参加時間は労働時間として扱う。」

就業規則作成のポイント

  • ひな形の活用は危険:クリニックの実態に合わせてカスタマイズ
  • 定期的な見直し:法改正や運用実態に合わせて更新
  • 周知徹底:作成しただけでなく、スタッフへの説明会実施
  • 労働者代表の意見聴取:作成・変更時は必須

4. 効果的な給与体系の設計

適切な給与体系は、スタッフのモチベーション維持と優秀な人材確保の要です。公平性と競争力のバランスが重要です。

クリニックの給与水準目安(2024年)

職種 経験年数 月給(目安) 年収(賞与込)
看護師(正看) 新卒 25〜28万円 350〜400万円
5年 28〜32万円 400〜480万円
10年以上 32〜38万円 480〜570万円
准看護師 新卒 20〜23万円 280〜320万円
5年 23〜26万円 320〜380万円
10年以上 26〜30万円 380〜450万円
医療事務 未経験 18〜20万円 250〜280万円
3年 20〜23万円 280〜340万円
主任級 25〜30万円 350〜450万円

給与体系の構成要素

基本給

  • 職務・職責に応じた設定
  • 経験年数による昇給
  • 地域相場を考慮

諸手当

  • 資格手当(5,000〜20,000円)
  • 皆勤手当(5,000〜10,000円)
  • 住宅手当(10,000〜30,000円)
  • 通勤手当(実費または上限設定)

賞与

  • 年2回(夏・冬)が一般的
  • 基本給の2〜4ヶ月分
  • 業績連動型も検討

インセンティブ

  • 患者満足度による評価
  • 資格取得奨励金
  • 改善提案報奨金

人事評価制度の導入

評価項目例(看護師)

評価項目 配点 評価基準
専門知識・技術 30% 医療技術の習熟度、新技術への対応
患者対応 25% 接遇、コミュニケーション能力
チームワーク 20% 協調性、後輩指導
業務改善 15% 提案、効率化への貢献
勤務態度 10% 出勤率、規律遵守

評価制度成功のポイント

  • 明確な評価基準の設定と事前周知
  • 年2回の定期面談実施
  • 評価結果の賞与・昇給への反映
  • 評価者(院長)の評価スキル向上

5. 社会保険・労働保険の適切な運用

医療機関は社会保険・労働保険の適用事業所です。加入漏れは大きなリスクとなるため、適切な運用が必要です。

社会保険・労働保険の基本

保険種類 加入対象 保険料率(2024年) 負担割合
健康保険 正社員全員
週20時間以上のパート
約10%(協会けんぽ大阪) 労使折半
厚生年金 18.3%
雇用保険 週20時間以上 1.55% 事業主0.95%
労働者0.6%
労災保険 全従業員 0.3%(医療業) 全額事業主

加入手続きと注意点

新規採用時の手続き

  1. 雇用契約締結時:労働条件通知書の交付
  2. 入社日:雇用保険資格取得届(ハローワーク)
  3. 5日以内:健康保険・厚生年金資格取得届(年金事務所)
  4. 速やかに:扶養家族の確認と手続き

よくある加入漏れパターン

  • 試用期間中の未加入:違法です。初日から加入必要
  • パートの加入漏れ:週20時間以上は加入対象
  • 医師の加入漏れ:非常勤でも一定要件で加入必要

福利厚生としての保険活用

上乗せ給付の検討

  • 医師国保:保険料が定額で有利な場合も
  • 退職金制度:中退共の活用
  • 医療費補助:自院受診時の自己負担補助
  • 団体保険:生命保険・損害保険の団体割引

6. 優秀なスタッフの採用戦略

人材不足の中で優秀なスタッフを確保するには、戦略的な採用活動が不可欠です。

効果的な求人方法

採用方法 コスト 効果 おすすめ度
ハローワーク 無料 ★★☆
求人サイト 20〜50万円 ★★★
人材紹介 年収の20〜30% ★★★
スタッフ紹介 紹介料3〜10万円 ★★★★
SNS・HP ほぼ無料 △〜◯ ★★★

魅力的な求人票の作成

必須記載事項

  • 具体的な仕事内容
  • 勤務時間・休日
  • 給与・賞与
  • 福利厚生
  • 応募資格

アピールポイントの例

  • 「残業月平均10時間以内」
  • 「有給消化率80%以上」
  • 「産休・育休取得実績あり」
  • 「研修制度充実(未経験者歓迎)」
  • 「駅徒歩5分・マイカー通勤可」

面接・選考のポイント

効果的な面接の流れ

  1. 書類選考:必須要件の確認
  2. 一次面接:人物評価(30分程度)
  3. 職場見学:実際の勤務環境を見学
  4. 最終面接:院長面接(条件確認)

面接で確認すべき事項

  • 転職理由と志望動機
  • キャリアプラン
  • チームワーク経験
  • ストレス対処法
  • 勤務可能条件

7. スタッフ定着率向上の具体策

採用以上に重要なのが定着率の向上です。離職を防ぎ、長期的に活躍してもらうための環境づくりが必要です。

離職理由トップ5と対策

1. 人間関係(35%)

対策
  • 定期的な個人面談の実施
  • メンター制度の導入
  • チームビルディング研修
  • ハラスメント相談窓口の設置

2. 給与・待遇(25%)

対策
  • 定期昇給制度の明確化
  • 資格手当の充実
  • 賞与の安定支給
  • 退職金制度の導入

3. 仕事内容・やりがい(20%)

対策
  • キャリアパスの明示
  • 研修・学会参加支援
  • 業務改善提案制度
  • 多能工化の推進

4. 労働時間・休日(15%)

対策
  • 有給取得の推進
  • 時短勤務制度
  • リフレッシュ休暇
  • 残業時間の削減

5. 家庭との両立(5%)

対策
  • 育児・介護休業制度の充実
  • 時短勤務の柔軟対応
  • 急な休みへの理解
  • 託児所との提携

モチベーション向上施策

承認・評価

  • 月間MVP表彰
  • 患者からの感謝の共有
  • スキルアップの見える化

成長機会

  • 院内勉強会の定期開催
  • 外部研修費用負担
  • 資格取得支援

職場環境

  • 休憩室の充実
  • 制服の定期更新
  • 最新機器の導入

コミュニケーション

  • 朝礼での情報共有
  • 提案BOXの設置
  • 歓送迎会・忘年会

8. 労務トラブルの予防と対処法

労務トラブルは予防が最も重要です。起きてしまった場合の適切な対処法も知っておく必要があります。

クリニックでよくある労務トラブル

ケース1:残業代未払い

問題

「みなし残業代に含まれている」と説明していたが、実際の残業時間が想定を大幅に超過

予防策
  • 固定残業代制度の適正な運用(時間数・金額の明示)
  • タイムカードによる正確な労働時間管理
  • 36協定の締結と遵守
対処法
  • 過去2年分の未払い賃金を計算
  • 支払い計画の提示
  • 再発防止策の実施

ケース2:パワーハラスメント

問題

院長の指導が厳しすぎるとスタッフから訴え

予防策
  • ハラスメント防止規程の制定
  • 管理職研修の実施
  • 相談窓口の設置
対処法
  • 事実関係の調査(第三者も含めて)
  • 被害者のケア
  • 加害者への指導・処分
  • 職場環境の改善

ケース3:突然の退職

問題

看護師が「明日から来ません」と突然の退職宣言

予防策
  • 退職規定の明確化(1ヶ月前申出等)
  • 定期面談での不満把握
  • 働きやすい環境づくり
対処法
  • 引き留め交渉(条件改善提示)
  • 引継ぎ期間の確保
  • 損害賠償は現実的でない
  • 早急な補充採用

トラブル予防のための体制整備

  • 労務管理の見える化:勤怠管理システムの導入
  • コミュニケーションの活性化:1on1ミーティング
  • 外部専門家の活用:社労士との顧問契約
  • 労務監査の実施:年1回のチェック

9. 働き方改革への対応

2024年4月から医師にも時間外労働の上限規制が適用されるなど、医療機関も働き方改革への対応が必須です。

クリニックに求められる対応

1. 時間外労働の上限規制

  • 月45時間、年360時間が原則
  • 特別条項でも年720時間まで
  • 医師はA水準で年960時間

2. 年次有給休暇の取得義務

  • 年10日以上付与者は5日取得義務
  • 取得状況の管理簿作成
  • 計画的付与制度の検討

3. 同一労働同一賃金

  • 正規・非正規の不合理な待遇差禁止
  • 賞与・手当の見直し
  • 説明義務の履行

生産性向上の取り組み

業務効率化

  • 電子カルテの活用
  • 予約システムの最適化
  • タスクシフティング
  • 定型業務のマニュアル化

働き方の多様化

  • 時短勤務制度
  • フレックスタイム(事務職)
  • 在宅勤務(可能な業務)
  • 副業・兼業の許可

10. 成功事例から学ぶ人事管理

実際に人事労務改革に成功したクリニックの事例から、実践的なヒントを学びましょう。

事例1:離職率を50%から5%に改善したAクリニック

背景

  • 内科クリニック、スタッフ15名
  • 年間離職率50%で常に人手不足
  • 残業が常態化、有給取得率10%

実施した改革

  1. 労働環境の改善
    • 診療時間の見直し(週1日午後休診)
    • 完全予約制導入で残業削減
    • 有給取得目標80%設定
  2. 評価・報酬制度の刷新
    • 明確な評価基準の導入
    • 賞与を年2回から3回に
    • 資格手当の新設
  3. コミュニケーション強化
    • 月1回の全体ミーティング
    • 3ヶ月ごとの個人面談
    • 提案制度で採用時に報奨金

成果

  • 離職率:50% → 5%
  • 有給取得率:10% → 85%
  • 患者満足度:大幅向上
  • 収益:20%増加

事例2:採用難を克服したB歯科医院

背景

  • 歯科医院、スタッフ8名
  • 歯科衛生士の採用が2年間ゼロ
  • 既存スタッフの負担増大

実施した施策

  1. 採用ブランディング
    • Instagram での職場紹介
    • スタッフインタビュー動画作成
    • 新卒向け見学会開催
  2. 新卒育成プログラム
    • 3ヶ月の研修カリキュラム
    • メンター制度導入
    • スキルマップ作成
  3. 福利厚生の充実
    • 誕生日休暇制度
    • 資格取得費用全額負担
    • 制服のおしゃれ化

成果

  • 3名の新卒採用に成功
  • 既存スタッフの満足度向上
  • 地域での評判向上

11. まとめ:働きやすい職場づくり

クリニックの成功は、優秀なスタッフとのチームワークにかかっています。適切な人事労務管理は、その基盤となる重要な要素です。

人事労務管理 成功の5原則

  1. 法令遵守(コンプライアンス)

    労働基準法を守ることは最低限。それ以上の働きやすさを追求

  2. 公平性と透明性

    評価基準、給与体系を明確にし、不公平感をなくす

  3. 成長機会の提供

    スキルアップ、キャリアアップの道筋を示す

  4. ワークライフバランス

    プライベートも大切にできる勤務体系

  5. コミュニケーション重視

    風通しの良い職場で、問題を早期発見・解決

今すぐ始められる改善アクション

1

現状把握

  • 就業規則の見直し
  • 労働時間の実態調査
  • スタッフ満足度調査
2

優先課題の特定

  • 法令違反リスクの洗い出し
  • 離職要因の分析
  • 改善要望の整理
3

改善計画の実行

  • 短期・中長期計画の策定
  • 必要な投資の決定
  • PDCAサイクルの確立

人事労務管理は「コスト」ではなく「投資」です。スタッフが活き活きと働ける環境を作ることで、患者満足度が向上し、結果として経営も安定します。

小さな改善から始めて、徐々に理想の職場に近づけていきましょう。当社では、クリニックに特化した人事労務コンサルティングで、働きやすい職場づくりをサポートしています。

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執筆者情報

辻 光明(つじ みつあき)

税理士法人 辻総合会計 代表社員
医業経営コンサルタント
提携社労士とともに、200以上の医療機関の人事労務をサポート。働きやすい職場づくりを支援。